世代間倫理と人間の本能

H12.1.22 古津年章

 

地球環境問題が大きく取り上げられてからかなりの年月が経ち、問題意識は多くの人々に植え付けられてきたと考えますが、現代の経済システムのパラダイムを根本的に変えるには至っていない状況と思われます。破局がきた後に自然環境が回復するという最悪の解決法を待つことが人間の本能からして唯一の道かも、などと悲観的なことを考えてしまうほど、経済的な利益の誘惑は強く、またそれが人間の本能であるのか、と考えてしまいがちです。

 

 しかし、経済的な利益を上げることは、POWERは強くなっても尊敬の対象にはなりにくい、という面白い性質を人間が持っていることは確かであり、これだけ経済利益一辺倒の社会になっても、そのような性質が人間が保持していることは、未来社会への責任というものが、人間の本能として存在するのでは? と若干希望を持つ根拠ともなっています。そう云えば、どんな生物も本能として、自分の種の保持と繁栄を求めており、人間がそれと類似の本能を持ってもおかしくないかも知れません。現代でも、豊かな自然は人間の共通の価値としてみとめられ、プラスチックの模造植物より本物の植物、ゴミでもプラスチックゴミが散乱していれば眉をひそめる人は多くても、木の葉が舗道を埋めても一種の秋の風物詩として捉えることもしばしば、など日常の人間の考え方ひとつにも、自然の中で生かされたいという本能的な考えを垣間見ることができるように思います。

 

  問題は、このような人間の本能(があるとすれば)を、どのように社会的に重要な価値あるいは人間社会の目的として位置づけるか、ということだと思います。世代間倫理、考え方として崇高であっても、多くの人間にとって極めて達成が困難な、人間の本能から外れた難しい考え方なのか、あるいは大事に育てれば、人間誰しもそのような考えが持て、そのような考えで生活することで、人間としてのレベルも上がり、健康・幸福感の増大につながるのか? 私はどうも後者が本当のように思えます。

 

皆様のお考えを聞かせて頂ければ幸いです。