大学・大学院は何をするところなのか?
大学・大学院は何をするところなのか?
高校までは、中学に入ること・高校に入ること・大学に入ることが目標で、学校の先生や塾の先生に言われるまま、手取り足取り教えられ、与えられたものをただただ勉強してきただけだと思います。大学に入るとどうも様子が違うので、戸惑うのではないでしょうか?このページは、そんな学生さん向けに、一つの道しるべとして書いています。
大学や大学院は社会に出て活躍する知識や能力を「自主的」に身につける場所
では、大学や大学院は何をするところなのでしょうか?その答えは、社会に出て活躍するための知識や能力を身につける場所だ、と言うことになります。
スポーツを例に説明しましょう。高校までは、ひたすら持久走、ダッシュ、筋トレをして、スポーツをする基礎体力を養っていたようなものです。 大学からは、特定の種目を選んで、そのプロとして本格的に競技ができるようになることを目指すことになります。 スポーツには、サッカーだ、野球だ、水泳だ、陸上だ、といった種目がありますが、大学ではその中から一つの種目(学科)を選び、その技術を身につけていきます。さらに、大学院では、サッカーなら、フォワードだ、バックスだ、といったポジション(研究室)別の専門的な技術を磨き、プロとして活躍できることを目指すのです。大学の卒業研究は練習試合であり、大学院に入るとより多くの試合をこなしてプロのレベルを目指します。
大学からは、自主性が重んじられます。自分で進んでプロのレベルに必要な技術を学ばなければなりません。大学の先生はコーチというよりは監督のようなもので、それをサポートしてくれますが、手取り足取り指導してくれるわけではありません。大学の講義も、参考となる事柄を話してくれるだけで、本当に必要な技術は個人練習をして身につけないといけません。文献やネットで調べるなり、先輩にきくなりして、自分で必要な技術の存在を知り、それを学んでいかなければなりません。大学からは選択科目がありますが、これはサッカーのフォワードとバックスで学ぶべきことが違うように、各自が自分のポジションの技術を学べるようになのです。
「研究」は「勉強」とは違う
卒業研究から大学院では、「勉強」ではなく「研究」をすることになります。勉強は先人たちが築いてきたことがらを学ぶことですが、研究は違います。誰もやっていないことを自らの力でやってみせることが研究です。どんな文献にも載っていないことを、これまで身につけた知識や能力に基づいて、世界で初めてやってみせること、それが研究です。
そのためには教科書だけでなく、様々な文献、特に「論文」という英語で書かれた専門の文章を綿密に調べる必要もあります。全く同じ事を自分でやってみて確認することも必要です。そうして調べていると、疑問に思うこと、誰も解決していないこと、がみつかります。それを自分の手でやってみせるのです。
研究を進めていく際には、後から何をしたのか何が起こったのかすぐに確認できるように、どんなにささいなことでも細かく記録していきます。そうした記録を駆使して、本当にできたことを証明するようにはっきりと数字で示し、どこが新しいのか、なにが面白いのか、どういう役に立つのか、なぜそうなるのか、どうしてそうなるのか、今までの他の報告と矛盾しないのか、が説明できないといけません。
最先端の情報は教科書やネットには出ていない
高校までは、教科書や参考書を読めば答えが書いてありますが、研究ではそう言う訳にはいきません。教科書や参考書に載っていることは一昔前のことで、最先端のものではありません。ネットにも最新の情報が載っていることがありますが、断片的なことが多いです。
多くの人が頼るのが、学会誌や論文誌です。学会誌には最先端の成果の紹介解説記事が出ています。しかも日本語で読めるものが多いです。論文誌にはもっと最先端の成果が出ていますが、世界中どこでも読めるように、ほとんどが英語で書かれています。学会誌の記事にも論文誌の論文にも、必ず文献リストがついています。この文献リストから、文献を芋づる式に調べていくことで、知識を深めることが可能です。
しかし本当の最先端の知識は、研究会や学会、国際会議に行かないとわかりません。論文誌に掲載されるのは、だいたい数年前に始めて1年前に完成した成果です。研究会や学会では今一番ホットな最先端の成果が報告されます。しかしそれすらも1年以上前に始めたもの。本当の最先端の知識は、そう言う場所で出会う最先端の研究者に直接話を聞くことにより初めて得ることが出来るのです。
研究室の先輩や先生から知識を得ることももちろん重要ですし、結局一番重要で貴重な情報は、誰もがアクセスできるネットに転がっていることはなくて、人と人との直接のコミュニケーションからしか得ることは出来ないものなのです。自分で苦労して初めて研究のヒントが得られるのです。
研究は楽しく幸せ
研究では、自分がやり遂げた世界で初めての成果を整理して、専門の研究会(スポーツで言えば地方大会)や学会(全国大会)や国際会議(国際試合)で他の専門家の前で発表し、文章にまとめて専門の論文誌(ワールドカップやオリンピック)に掲載することで、初めて一人前として認められます。国際会議では発表する価値があるかどうかの事前審査を合格しないと発表できませんし、論文誌でも掲載する価値があるかの審査を合格しないと掲載されません。
さらに、博士という学位を取るには、こうしたことがどんどんできる能力があることを示さないといけません。研究の世界での業績は、論文の数とその質でのみカウントされます。博士のレベルになると、その分野については先生よりも専門家になっていて、むしろ先生に教えることが出来るようでなくてはなりません。
研究は厳しく大変なだけのように見えるかも知れませんが、そうではありません。 スポーツと同じように、試合は緊張し大変ですが、とても楽しいものです。 また研究の醍醐味は、どんなに小さなことであっても、世界の誰も知らないことをやってみせることにあります。今これは世界で自分しか知らない、と思える瞬間は、本当に幸せなものです。その感覚は、研究に挑戦した者以外には、決して味わうことはできません。
研究の経験と能力は社会で役立つ
Jリーグやプロ野球のように、プロになれる人は一握りに限られています。大学・大学院で行う研究は専門的な特殊なものであり、社会では必ずしも直接役に立つ訳ではありません。多くの人は、学部卒業か修士修了で社会に出ます。それなのに、なぜ研究のプロを目指した勉強や研究を大学や大学院ではするのでしょう?
それは、自分の力でいろいろな人と協力して誰もやっていないことを遂行し、その成果を整理して、人前で発表し、文章にまとめる、という一連の経験とそうして鍛えられた能力が、そのまま社会で役立つからです。逆に言うと、そう言う経験と能力、つまり、調べる力、解決策を見つける力、実行する力、論理的に考える力、プレゼンテーションする力、報告書を書く力、いろいろな人とコミュニケーションできる力、柔軟に対応できる能力、は社会から求められているのです。大学や大学院で行う研究は、社会で活躍するためのトレーニングなのです。
自分がどんなポジションをやりたいのか、どんなポジションが適しているのか、を考えて、必要な技術を磨いて、大きな舞台に立つことを目指しましょう。